会社案内 Company
会社概要
名 称 | 株式会社豆政 |
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所在地 |
〒604-0965 |
工場所在地 | 〒604-0973 京都府京都市中京区柳馬場通夷川上がる五丁目233 |
TEL | 075-211-5211 |
FAX | 075-211-4520 |
創業 | 明治17年2月 |
法人設立日 | 昭和32年7月23日 |
業種・商品 | 夷川五色豆・すはまだんご等の京名物ならびに和菓子・豆菓子の製造販売 |
資本金 | 20,000,000円 |
代表者 | 代表取締役社長 角田 潤哉(5代目当主) |
従業員数 | 役員:3名/従業員:50名/パート:10名 |
主取引銀行 | みずほ銀行/京都中央支店 京都銀行/三条支店 京都信用金庫/本店 京都中央信用金庫/本店 |
主取引先 | ●大丸、高島屋、近鉄、そごう、三越など、有名百貨店 ●京都市内有名ホテル・旅館、市内観光地土産店など ●西日本キヨスク、東海キヨスク、京都観光デパート |
年 商 | 1,000百万円 |
歴 史 |
明治17年、豆の雑穀商であった「角田 政吉」が京都夷川(現在と同じ場所)にて創業。 |
主参加団体 | (社)京都府物産協会 (社)京都府菓子工業組合 全国銘産菓子工業協同組合 京名物百味会 他 |
沿革
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明治
17年2月 京都市中京区夷川通柳馬場西入北側(現在の店舗の北側)にて雑穀煎豆業として創業。初代は角田 政吉、屋号を豆政とする(数年後、現在地である南側に移る)。 -
明治
20年 白一色だった砂糖掛豆に四色を加え、「五色砂糖掛豆」として売り出す(現在の「夷川五色豆」。当時よりニッキ粉を入れて褐色とし、青海苔を使って青色として好評を博した)。 -
明治
25年 全国で初めて中国からえんどう豆を輸入し、煎り豆として販売した。その品質の高さと格安な値段によって販路を広げる。 -
明治
34年 豆政二代目当主として実弟・政次郎が就く。 -
明治
41年 五色砂糖掛豆を箱詰めにし、進物および土産品として売り出す。
同年、大阪鉄道局の許可を得て、京都駅(当時七条停車場)の構内に「立売り」として渡月軒より販売。また、売店では駸々堂で売られた(売上は月五千円程度)。 -
明治
43年 政次郎自ら豆煎機を制作。
京都市内の同業者に呼びかけ、京都煎豆商組合を組織し、自ら組合長となる。
同年、各地で行われた博覧会や共進会に出品し、受賞した。 -
明治
44年 岡崎公園での京都商品陳列会において養老豆(当時の飛び出し豆)を宮内庁よりお買上げいただく。 -
明治
45年 明治天皇崩御。
翌年、桃山に明治天皇陵ができ、それに伴い全国より参拝者が激増。五色豆の売上が大きく伸びた。
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大正
4年 大正天皇御即位の御大典が京都にて行われ、拝覧に入洛された人々への土産品として好評を博した。併せて京都で行われた記念博覧会においては実演販売を行い、好評のうちに連日品切れ状態が続く。
同年、天皇陛下の天覧に供し、各宮様より御用命をいただいた。 -
大正
6年 天皇皇后両陛下の台覧のうえ、多数お買上げの光栄を得た。それ以降、御入洛の度に天覧に供し、御用命をいただく。
東京・大阪の三越、名古屋の松坂屋百貨店と取引を始める。 -
大正
8年 京都煎豆商組合が菓子業界初の京都府公認組合となる。引き続き組合長を歴任。 -
大正
9年 鳩豆の箱を各地にて販売、好評を博した。 -
大正
10年 京都近鉄百貨店(前・丸物)が京都駅前に京都物産館として創設され、出品。 -
大正
14年 節分に吉田神社境内にて節分豆を販売。
(組合に提唱したものの同業者の冷笑に遭い、単独で行った。俵型の入れ物に入れた商品が好評)
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昭和
3年 11月、昭和天皇陛下御即位の後、京都に拝観者が激増し、連日売り切れとなる。 -
昭和
19年 太平洋戦争のため、一旦閉店する。 -
昭和
21年 三代目当主として憲治が就く。落花生煎りを始め、復業。 -
昭和
24年 憲治が発起人となり、京名物百味会を創設。料理・嗜好品・菓子など「真の京名物」の復興を志す。
同年、京都大丸を始めとした百貨店取引を開始。 -
昭和
25年 東京・日本橋三越において初めて「京名物洛趣展」を開催。百味会・京呉服・工芸品が一同出品する。連日大盛況だった。以来、今日まで盛況が続いている。 -
昭和
27年 新築された京都駅に京都駅観光デパートが開店、出品取引を始める。 -
昭和
32年 7月23日、組織を法人に改め、『株式会社豆政』とする。 -
昭和
38年 柳馬場夷川下るの本社地続きに工場を建設(鉄筋3階建)。
すはまだんごを制作、発売する。 -
昭和
43年 9月、潤治が四代目当主として代表取締役社長に就任。憲治は会長に就任する。 -
昭和
45年 戦後最大の観光ブームとなり、会期中は連日売り切れ状態が続いた。 -
昭和
47年 夷川本店を改装。 -
昭和
62年 12月、豆政工場を新築。
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平成
9年 京都駅ビルが完成し、ジェイアール京都伊勢丹と出品取引を開始する。 -
平成
14年 9月、五代目当主として潤哉が代表取締役社長に就任。潤治は会長に就任する。 -
平成
16年 2月、創業120周年を迎える。クリーム五色豆を販売開始。